就職活動で落ち込まないために「承認欲求」と向き合った話

※本ページはプロモーション(広告)が含まれています。

四年ほど前、田舎だった故郷から飛び出て都会に移り、住み込みで配送関係の仕事に従事していた僕は三年ほど働いた後、ふとした理由から転職を決意し、都内に住んでいた親戚の経営する飲食店に縁故の採用が決まるなり務めていた会社を退職。新しい部屋を見つけて寮を引き払い、次の職場での就業が開始する一ヶ月の間、無職としての自由を謳歌していました。
ところが就業日目前に差し掛かって突如、親戚から経営難によって人手を増やせず、採用はなかったことにしてほしいと電話をもらい、梯子を外された僕は慌てて就職活動を開始することになりました。

広大な都会で初めての仕事探し。遅れを取った失業手当の給付申請をしながらハローワークに通い詰め、インターネットや求人誌をあさっては面接に向かう毎日。「まあすぐ見つかるだろ」と思ったものの世間の風当たりは厳しく、活動開始から二ヶ月が経っても一向に採用が決まることはありませんでした。
生活費として目減りしていく貯金。時には力仕事などで日銭を稼ぎながら口に糊をして、求人情報に目を通す日々。就職のことで頭がいっぱいになり、精神的な余裕も少しずつなくなっていきます。
追い詰められれば追いつめられるほど、なりふり構わずにますます面接を受ける量が増えるのではないかと思うものですが、実際はそんなことありませんでした。それどころか逆に僕の就職活動は、次第にエネルギーやスピードを欠くようになっていたのです。

就職活動が上手くいかなかった人達にはよくある話なのですが、減っていく貯金の不安、何よりも不採用の通知が毎日のように届き、「これだけやっても受からない」という事実は、自信や尊厳、ひいては精神的な活力をゴリゴリと削りとっていくものです。
ああ、自分は社会から必要とされてないのか。誰も自分なんか求めていないのか。自分にはその程度の価値しか伴っていないのか……。
気が付けば身体は思うように動かなくなり、朝になっても起き上がることもままならない状態にまで精神的に疲弊していました。求職情報をチェックする量も激減。食事も一日二食、白米とインスタントみそ汁しか口にせず、極端なまでにバイタリティを失っていきました。そうなると当然、就職活動にも悪い影響を及ぼし、負のサイクルが完成するわけです。

1511261

春が訪れ、新社会人達が「大人の世界」へと羽ばたいていったある日、やる気も食欲も失って腹を鳴らしながら毛布にくるまっていた僕は、テレビに登場する若々しい労働者の姿を観て突然覚醒。このままではいけない。何とか精神を鼓舞させ、求職活動に尽力せねばと一念発起したのです。
とはいえ一度すり減った自信や尊厳を取り返すのはなかなか大変なもの。精神論も僕の苦手とするところ。そこで元々意識が低い人間だった僕はまず、「精神的に前向きになる」より「もうこれ以上落ち込まないようにする」方法を選びました。
とりあえず僕はメンタル維持の代表格とも言える肉体運動から始めました。たとえば筋トレやランニングなどは、肉体に適度な負荷をかけることによって精神を高揚させ、メンタルの不調を防ぎます。これはかなり効果のある方法であることは実践済みなのですが、なにぶん幼少期から運動嫌いなうえちょっとしたことで体調を崩す貧弱な体質。Amazonで買ったダンベルを持ち上げた瞬間に脇腹がつって泡吹きながら悶絶したとき、肉体運動の継続を断念しました。意識の低さが全細胞に染み渡っていたのです。

ではどうすればいいのか。色々と考えを巡らせた結果、今の自分に欠けているのは「自信」、及び「承認欲求を満たすこと」なのだと結論づけました。
就職活動とはある種、「承認欲求を充足するための活動」として捉えられる部分もあります。自分がこれまで培ってきたもの、自分の価値や能力を認めてもらいたい……そんな気持ちが存在するからこそ、それらが否定されたときのダメージは金銭や世間体といった観念を超越するほどに大きい。
とはいえ、少し他人から否定された程度で挫けていちゃとてもやってられない、それよりも自分の適性や能力を見出し、そこで結果を出して自信と精神的活力を得ることにしたのです。もっともそれは就職活動やその後の労働で活かすべきポイントだったのですが。

そこで昔から他人を笑わせるための文章が書くことが好きだった僕は、開設したままで放置していたブログを積極的に更新することにしました。ただひとつ違うのは、ここで初めて「自分のために他人を笑わせること」を「承認欲求を満たすため」という単純な目的に結びつけたことです。創作と承認欲求は切り離せないものではありますが、「承認欲求のための創作」というのは否定的に受け止められるもの。しかしこのときの僕は「そんなこと知るか!俺は書いて笑わせて承認されるんだ!」という思いしかありませんでした。

とはいえ承認欲求のためなら何でもして書いていいというもの違い、僕のポリシーにもそぐわないので、「他者を嘲らない、脅かさない、判断しない」といるルールを設けたうえで、自分が面白いと思った文章でブログを更新していきました。いくつかの記事がSNSで広くシェアされ、またwebメディアで紹介されるなど、想定以上の反応が返ってきたことで、かえって戸惑う結果となりました。僕は元々意識が低いので、このあたりで承認欲求がお腹いっぱいになり、変に暴走することもありませんでした。
この頃からメンタル面がぐぐっと上向きになり、やる気や食欲も戻り、気が付けば内定も取れて僕は再就職に無事成功しました。その結果自体がブログによって承認欲求を満たし、自信を手にした効果かどうかはわかりません。これを機に執筆がもう「承認欲求を満たすためだけ」の活動ではなくなり、以降僕の執筆活動はシェアや承認を極端に意識しないシンプルな趣味の創作活動へとシフトしました。

「承認欲求を満たすために」という行動は、ときに冷ややかな視線を受けることがあります。人間は誰しも承認欲求を抱えているのに、です。それらが暴走することで、その人のみならず他人への悪い影響が訪れることを鑑みているからでしょう。そうやって闇に取り込まれた人間の話はよく耳にします。
とはいえ、日頃から承認欲求を適度に満たしておくことは就職活動にいい影響を与えると僕は思っています。それは自信が伴うことによるやる気や精神の高揚以外にも、自分の魅力を再発見する作業にも繋がるからです。
能力や適性には「自分にあると理解しているから自信が出てくる」という面以外にも、「自信があるから能力と適性を見つけやすい」という面があります。結果から得られる自信の量とは自分の価値を見積もることから始まるので、客観視の能力に結びつきます。もちろん何事も過ぎれば毒。過信は客観とは一番遠いところにあり、このバランスを崩してはどうにもなりません。「自分の魅力をアピールしながら承認を得る」という作業が強く要求される就職活動においては、最も要求されるバランスなのですから。

とはいえ「自信を得ようにも何が自分の得意とするところなのかわからない」という部分もあると思います。何も特別な資質や適性がなくとも、承認欲求は簡単に満たせます。たとえば花を育てれば「私がいなかったらこの花は枯れるのだ」と思うだけで、自分は必要とされているのだと思えて、芽が息吹き花が実れば「結果」が自信に繋がります。わかってます、わかってます、そんな動機で花を育てているなんて公言するといろんな人から怒られることは。また、能力や適性を見つけて、それがそのまま生業になることもあるのです。そうなると就職活動の必要すらありません。スーツ代で焼肉が食べられます。
僕の場合はたまたまそれがブログでした。もちろん、文章を書くということに関しては今になっても、好きではあっても人様に誇れるほどの能力があるとはあまり思いませんし、読んでる方も九割くらいは「こいつ文章下手だな」と思っているかもしれません。ですが下手なりにも工夫をしたり目標を低く見積もったりすれば、自分に最低限の自信を取り戻す程度には結果を出せることもあるということです。

あれから幾つかの歳月が流れ、現在の僕は会社員をしながら副業でライター業務に勤しんでいます。ブログでの実績が評価され、執筆の依頼をもらえるようになり、今年は単著も出せました【PR】。こうしてコラムを寄稿出来たのも、あのとき自分に自信を取り戻すために、自分の承認欲求と素直に向き合った結果なのかもしれません。
承認欲求、決して悪いものじゃないよ! お酒のように適度な距離感で付き合って、自分に酔って自信をつけながら仕事を探したいものです。無論、それで仕事が必ず見つかるとは限りませんが……。

著者プロフィール

hoshii100

星井七億

会社員兼ブロガー。小説ブログ『ナナオクプリーズ』で「桃太郎」や「走れメロス」などを面白おかしくいじった記事を書き続け、ちょっとだけ話題になる。

Sponsored Links

関連記事

facebook

ピックアップ

ページ上部へ戻る