- 2020-4-14
- 転職体験談・コラム
「ずっとやりたいことがなく、ふらふらしていました。でもお仕事をご一緒して、◯◯の仕事って楽しいんだな、◯◯を一生の仕事にしたいと、この歳になってはじめて思えました」
私が産休に入るためしばらく会社を休むという時、いっしょに働いていた方からもらった手紙の一節です。私が先輩で教える立場というわけではなく、本当に、「いっしょに働いていた同僚」でした。私こそ彼女に色々教わっていたので、この内容にはとても驚き、そしてとても嬉しく思いました。10年余りの仕事人生、こんな手紙を頂いたのは後にも先にも一度きり。今でも、仕事の自信がなくなると、時々読み返しています。
私は、「天職」とか、「好きなことを仕事にする」とか、そういうものを信じていません。正確に言うと、「今は」、です。昔は信じていたのです。
私が就職したのは、就職氷河期真っ只中の頃でした。正社員になれなくても、夢を追いかけ自己実現を果たす「フリーター」という生き方が持て囃されていました。私も、「就職するだけが人生じゃない。もしどこにも受からなかったら、フリーターになって好きな仕事をしよう」と思っていました。
たくさんの会社に落とされましたが、運良く内定をもらえた会社が一社あり、そこに入社しました。ずっと憧れていたマスコミ関係の仕事です。けれどしばらく働いてから、「好きなことを仕事にする」代償は大きいと思うようになりました。マスコミは当時、人気職種でしたが、労働環境はいわゆる「ブラック」。同じ業界に就職した友達や後輩も何人かいましたが、体を壊して退職する、といったことは普通でした。
「やりがい搾取」という言葉が出てきた時、ちょっと胸がズキッとするぐらい「なるほど」と思いました。「夢を叶える、夢が叶った」というような気持ちは、時に逃げ場を奪います。私自身も、「比較的、好きな仕事」に就いたからこそ自分を追い込み、心身のバランスを崩したこともありました。自分と仕事との距離のはかり方が、なかなか掴めない辛い20代を過ごしました。
今はもう30後半になりますが、業種や職種を大きく変えることもなく、なんだかんだで働き続けています。ただ自分の仕事が「天職」かと問われると、「それはどうだろう…」という感じです。毎日、仕事だと思えないほど楽しい、これは自分の天職だ、一生かけてやり抜きたい……という人のことはとても羨ましく思いますが、それを手にいれられるのはほんの一握りの人間だろう、と思っています。今の私と仕事の距離感でいうと、「まあまあ好き、いい時もあるがイヤな時もある。割り切った関係」ぐらいでしょうか。
ビジネスだの企業社会だのというものは、個人ではコントロールできない大きな力で動くことがあります。人格を持たないその力によって、自分をまるごと「否定された」などと感じるほど、仕事にのめりこむのは危険。程よい距離感が大事だと、今は思っています。
では仕事は、「せいぜいお金をもらう手段だと割り切る」のが良いのか?
では仕事は、「せいぜいお金をもらう手段だと割り切る」のが良いのか?
私はそれもまた、なかなか難しいのではと思っています。
出産後の異動や配置転換で、それまでと全く異なる仕事や、いわゆる「閑職」に追いやられ、「やりがいがない」という理由で退職した同世代の母親をたくさん知っています。ひと昔前の時代を生きた方々からすると、「なんて贅沢な」という話かもしれません。けれど、仕事の中に、その人にとっての「やりがい」を探し求めることができる時代、労働に、「食っていく手段」以外の意味をほんのすこしでも含ませることができる時代、それは幸福な時代ではないかと、私は思います。
なぜ、仕事に「やりがい」があった方がいいと思うのか?(ある「べき」という話ではありませんよ!もちろん。)私の考えはとても単純で、「一日の中で、仕事をしている時間が長いから」です。人生において多くの時間を費やさなければならない「仕事」だから、できれば「心地よい、嬉しい、満足感がある、達成感がある、自己肯定感が得られる」など、好ましい感情をもたらしてくれた方がいいですよね。私たち労働者は、一日に何時間も仕事している、せざるを得ないのが現代社会です。ずっと、じゃなくていい。ほんの少しでも、「やった!」とか「よかった!」とか、「なんかいい」とか、思える瞬間があった方がいいじゃないですか。
冒頭の手紙に戻りますが、「天職」や、「やりがいのある仕事」を見つけるのがほんとうに難しいとわかっているからこそ、誰かがそれを見つける瞬間に立ち会えたのが、本当に嬉しかったのです。ああ、この世にはまだそういう仕事があるんだ、そんな風に思えて嬉しかった。先日、金曜ロードショーで「魔女の宅急便」をやっていましたが、あの映画がいまもたくさんの人に愛されているのは、観ている人が、この瞬間に立ち会ったような喜びを得られるからかもしれない、とすら思います。
でも「好きなこと」なんて、そうそう見つからない。子育てをしていて痛感します。周囲を見渡しても「この子は小さい頃からピアノが大好きで」みたいな、そんな都合のいい話って、本当にないです。ほとんどの子が「好き」に至る前に「努力(の面倒くささ)」が勝ってしまい、挫折していく気がします。
自分にとっての「やりがい」って、どうやって見つければいいんだろう。
自分にとっての「やりがい」って、どうやって見つければいいんだろう。私もそれについては、試行錯誤しているところです。今のところ、「シンプルに考えればいいんじゃないだろうか」と思っています。つまり「好き」とか「たのしい」とか、自分の「心」が動く瞬間をキャッチする。理性ではなく感情の方をすこし贔屓目に、アンテナを立てる感じです。そういう、小さなキャッチの積み重ねで良いんじゃないでしょうか。別に、「空が飛べる」というような、魔法的な力でなくていい。たとえば「机の脇にたまっている書類を、バッサバッサ処理していくのがどうも快感」とか「人の話を黙って聞くの好きだわ」とか、そういうことでいいんじゃないでしょうか。それらの積み重ねの先に、「まあまあ好き」くらいの仕事が待っているのかもしれません。
ひょっとしたら本当は、ほぼすべての仕事に、人間にとっての何かしらの「やりがい」があるのかもしれない。けれど過酷な労働環境が、人から「やりがい」を奪っているのかもしれない。だから、人にとっての「やりがい」は、その職場の「労働環境」と、切っても切れない関係にあると思います。
冒頭の手紙をくれた時、彼女は30歳を過ぎていました。たかがやりがい。されど、やりがい。長い人生です。皆さんが、いい職場の、いい仕事に巡り会えますように。
著者プロフィール
こべに
「kobeniの日記」というブログを書いています。主にワーキングマザーのあれこれについて。2歳と6歳の母親で、仕事は広告・インターネット関連です。若い頃に比べると、子どものこともあり仕事はずい分ペースダウンしました。
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