写真:編集女子が“私らしく生きるため”の紙コンテンツ作戦会議より
こんにちは、佐野知美です。
突然ですが、「好きなことを仕事にして生きていきたい」と思ったことはありますか?
私は今、好きなことを仕事にしています。だから「今、仕事が楽しいですか?」と聞かれたら、心から「楽しいです」と答えます。
でも、同じことをほんの数年前に聞かれていたら、答えは違ったかもしれないと思っています。毎日毎日、同じことの繰り返し。自宅と会社の往復の日々で、この仕事が何のためにあるのかも分からない。もちろん、楽しいこともありました。けれど、やっぱりどこかで「何かが違う」と思ってしまう……。
私はこれまで、業界をまたいで3度の転職を繰り返してきました。金融、出版、ITとそれぞれ全く違う業界な上に、出版とITの間にフリーランスのライター・編集経験をはさんでいます。
でも、共通しているのは「その時自分が一番やりたいと信じた道」を進んできたことです。何かを始めるのに、遅すぎることなんてありません。私は今28歳ですが、10年経っても20年経っても気持ちは同じ。「今この瞬間が、自分の人生で一番若い」ということ。
後悔のない人生より、後悔のある人生を。一歩踏み出さない限り、後悔なんてできません。
まずは経歴を簡単にご説明させてください
氏名:佐野知美
年齢:28歳
居住地:神奈川県
2009年:三井住友VISAカードに総合職として入社
2012年:講談社メディア事業局に入社
(2014年:フリーランスのライター・編集業を副業として開始)
2015年:ベンチャー企業Waseiに入社、ウェブメディア「灯台もと暮らし」編集長に就任
講談社に転職する前に結婚し、半年間の専業主婦時代も経験しています。なので、一旦キャリアを離脱して、もう一度正社員への道を目指したということになります。
なんだか経歴がよく分からない
そうですね。私はとても頑固なので、その時自分が信じたものを100%肯定する力を持っています。なので、特に自分としてはすべて違和感がない選択なのですが、こうやって並べてみるとかなりとっちらかっているなぁという印象です。
フリー素材モデル・大川竜弥さんもご自身のコラムで「とっちらかった経歴」とおっしゃっていましたが、私の場合はフリー素材とかAV女優とか、特段ぶっとんだものが登場するものではありませんので、だからこそ更に地味な違和感が増します。
でも全然構わない
写真:転職の合間の一人旅@カンボジア シェムリアップにて
すべての選択が、私の人生を作ってきています。どれか1つを抜かしても、今の私の人生は手に入らなかったと本気で思っています。
よく、転職をするときの大きな悩みに「他業界に挑戦したいけど、入り口が見つからない」「即戦力じゃないからやっていけない」などといったことを聞きますが、私はそこに抜け道はあると思っています。
例えば私が金融の営業職から出版社に転職する際は、確かに入り口なんてありませんでした。私は昔からの夢だった総合出版社で、ライターとして雑誌に関わる仕事がしたかったのです。それはつまり編集部のことを指します。
しかし、転職をしようにも自分の現状を振り返ってみると、「四大卒、金融営業職経験あり、現在ほんわか主婦、編集ライター経験なし」みたいな肩書だったわけですよ。
私は必死に入り口を探します。でも、世の中の求人のうち、素人が見つけられるのはせいぜい出版社のアルバイト(時給800円〜900円、週5出勤)くらい。それでも究極は構わなかったのですが、そこでできる仕事が限られていることは容易に想像が付きましたし、できればきちんと自分の力で生きていけるくらいの収入を得たかった。
結局、選んだのは派遣会社の「紹介予定派遣制度」の利用でした。これは、数ヶ月の派遣形態での雇用の後、契約社員としてその会社に直接雇用されるという制度です。講談社のメディア事業局という、編集部ではないにしろ、広告を通して日々雑誌に関わる仕事を担当する部署の求人を見付けた私は、早速応募。書類審査と面接を経て、晴れて講談社に勤務することが決まりました。
そこで何を得られるか、何を学んで次にどう活かすか
その後、編集部への異動が難しいという現状を鑑みて、出版社で得た知識を活かしながら個人でフリーライター・編集業を始めます。数カ月後、そこでの実績を認めてくださった現在の会社㈱Waseiの代表が、これから立ち上げるウェブメディアの編集長を、正社員としてやってみませんかと誘ってくれました。
同時に、その頃の個人の活動がきっかけで、夢だった講談社のVOCE編集部の記者や、光文社MART編集部のライター、エイ出版社の雑誌ディスカバージャパンへの寄稿など、書き手としての仕事ができるようにもなりました。
「ライターとして編集部に所属したい」という「好きな気持ち」を中心に走ってきたここ数年の人生を、遠回りだったとは思っていません。むしろ、とんとん拍子だったと感じて少し怖くなるくらいです。もちろん、もっと上手くやれる方はいるでしょう。でも私は自分の信じる道の階段を1つひとつ上がっていくしかないかなと思っています。
好きなことは仕事にできる
「好きなことを仕事にして生きていく」というテーマに関しては、ここで私がわざわざ述べることもないほどメジャーな話題だと思っています。でも、ここであえて声を大にして主張したいのは、好きなことは仕事にできるから、今の環境から抜けて一歩踏み出す勇気を持とう、ということ。
私も怖かったです。誰もが名前を知る「三井住友」という看板を捨てて、ただの「佐野知美」に戻ること。退職の際、「絶対辞めない方がいい」「後悔するよ」「挑戦と無鉄砲は違う」など、色々なことを言われました。
講談社を去る時もそうです。「ずっとここにいた方がいい」「本当に大丈夫なの?」「生きていけないよ」たくさんのアドバイスをいただきました。
でも、私は今の自分の暮らしが一番楽しいです。馬鹿みたいかもしれないけれど、好きな人たちと、好きなことを追求して生きてみるスタイル。
だって、人生は一度しかないんです。どんなに文句を言っても、どんなに不満が募っても、それは自分の選択の結果です。壁を作っているのは他の誰でもない自分。
もちろん、好きなことを仕事に選んで、それで一生食べ続けていくためには、並大抵でない努力と覚悟が必要です。冒頭で「何かを始めるのに遅すぎることはない」と申し上げましたが、「早いに越したことがない」のも1つの事実だと思います。
そこはもうスポーツと一緒です。3歳から素振りをしてきた人に、15歳で野球を始めた人が一朝一夕で追いつける道理がないのと同じ。でも、だからと言ってあなたがそれに挑戦できない理由は何1つありません。
私は昔、歌手になりたかった。でもそれは難しそう。ならば、文章を書くことが好きだというこの気持ちを持って、もしかしたらいつか歌詞を書くことはできるかもしれない。そういった方向転換や、夢を昇華させることって、好きを追求した先には絶対にあることだと思うんです。
人生を楽しく生きたいと思うからこそ、今の時代に女性として産まれたからこそ、私はもっともっと好きを追求して選択していきたい。
「仕事は生き方を決めるもの」私は多分、一生そう思って生きていきます。
著者プロフィール
佐野知美
1986年生まれ、新潟県見附市出身。
㈱Waseiが運営するこれからの暮らしを考えるウェブメディア「灯台もと暮らし」編集長。
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